福井地方裁判所 昭和34年(行モ)1号 決定 1959年7月01日
申請人 鷹巣晃海
被申請人 福井県教育委員会
主文
被申請人が申請人に対し昭和三四年三月二〇日為した「申請人の福井県立丹生高等学校講師(常勤講師の意味)の職を地方公務員法第二八条第一項第一号及び第三号により免職する。」
との行政処分の効力は当庁同年(行)第二号行政処分無効確認等請求事件本案判決に至る迄停止する。
申請人のその余の申請を却下する。
申請費用は被申請人の負担とする。
事実
申請代理人は、主文第一項記載の本案判決確定に至るまで、同項と同旨並びに「以後被申請人は申請人を同校講師の身分を有するものとして取扱わなければならない。」との決定を求め、その理由として
(一) 申請人はかねてから福井県立丹生高等学校講師(常勤講師の意味以下単に講師と言う場合は常勤講師の意味である)として勤務し、その後同校教諭に任ぜられ、昭和二八年四月三〇日依願退職し、同年五月二日再度同校講師に任ぜられ、昭和三三年四月一日当時は右講師として地方公務員法に言う一般職として同法により身分を保証せられていたものであり、被申請人は申請人の任命権者である。
(二)(1) 申請人は従来地方公務員として誠実にその職務を遂行していたのであるが、昭和三三年二月頃申請人が明治三四年一月三日生で当時五五才を超えたことを理由に、被申請人から退職を強要せられた。けれども申請人は一方においては教育者の信念として理由のない退職強要には応じ難かつたのと他方においては後記のとおり多数の家族を擁し生活上からも絶対に退職することができなかつたためその旨を述べ、これを拒絶した。
ところが、昭和三三年四月三日突然福井県立丹生高等学校において同校長面野藤志から「四月一日付願により職務を解く。退職理由、家事都合」と言う被申請人名義の辞令を手交せられ初めて講師の依願退職の行政処分に付されたことを知り、ついで同月三日付で同校非常勤講師に採用する旨の辞令を受けた。
けれども申請人は未だ会つて被申請人に対し退職の意思を表示したこともなく、況んや退職願も提出したこともなかつたのであるから、右依頼退職の行政処分、ひいては非常勤講師採用の行政処分は地方公務員法第二七条に照し明白にして且つ重大な瑕疵があつて無効であると思料したので、福井地方裁判所に右依願退職の行政処分の無効確認請求訴訟を提起し(同年(行)第四号事件)同時に右行政処分の執行停止を申請し(同年(行モ)第一号事件)同年五月二一日その執行停止決定を受けた。
(2) ところが右本案訴訟の審理中申請人は再度同年六月一一日付で「貴職に対する昭和三三年四月一日付の依願退職の辞令及び同月三日付の非常勤講師(月手当四千円)発令の辞令をそれぞれ取消の上改めて本日付で左の通り免職したから通知する。理由地方公務員法第二八条第一項第一号及び第三号」と言う分限免職の行政処分を受け、その翌一二日その旨の通知を受けた。
けれども右分限免職の行政処分は地方公務員法の適用を誤り申請人が非常勤講師として地方公務員法に言う特別職の身分しか有しなかつた段階において同法第二八条を適用したと言う明白にして且つ重大な瑕疵を有し無効であると思料したので、申請人は再度右裁判所に対し右分限免職の行政処分無効確認請求訴訟を提起し(昭和三三年(行)第五号事件)且つ同一理由で右行政処分の執行停止を申請し(同年(行モ)第二号事件)同年一〇月四日右執行停止の決定を得、ついで昭和三四年三月一一日右本案訴訟事件についても申請人勝訴の判決を得、右判決は同月一九日被申請人が控訴権を抛棄することにより確定した。
(3) それ故に申請人は講師の身分を回復し安んじて勤務していた矢先三度被申請人はその翌二〇日申請人に対し「地方公務員法第二八条第一項第一号及び第三号を適用し申請人の福井県立丹生高等学校講師の職を分限により免職する。」と言う分限免職処分をなし(以下本件行政処分と言う)申請人はその翌二一日その旨の通知を受領した。
(三) けれども本件行政処分は次の理由で無効であり、仮に無効でないとしても取消を免れないものである。すなわち、
(1) 本件行政処分は前記昭和三三年(行)第五号事件の申請人勝訴の確定判決に示された分限免職処分と全く同一の分限免職処分であるから一事不再理の原則に照して無効である。(以下一事不再理の原則違反の主張と言う。)
(2) 本件行政処分は教育委員会の議を経ることなくなされたものであるから無効である。詳言すれば、本件行政処分は教育委員会規則第八条に言う「急施を要する事項」には当らないから、教育長の専決執行し得べき事項には属せず、同規則第八条第九号(委員会及び学校その他の教育機関の職員の任免賞罰及び服務の監督の一般方針に関する事項)或は同条第三〇号(前各号のほか重要異例と認められる事項に関する事項)に当るものと解せられるので、当然被申請人は本件行政処分をなす以前に同規則第三条第三項に従い「会議に付すべき事項、会議の日時、場所」を予め福井県報に登載して委員を招集し、委員の合議制をもつて審議さるべき事項に属するのにも拘らず、被申請人は右手続をなさず本件行政処分をなしたのである。それ故に本件行政処分は無効である。(以下手続違背の主張と言う。)
(3) 本件行政処分の基礎とせられた資料中昭和二八年四月三〇日依願退職以前の事実に属するものはこれを本件行政処分の資料とすることは法律上許されず、その余の事実については故意に著しく真実を歪曲又は捏造されたものであるから、このような資料に基く本件行政処分は無効である。(以下事実無根の主張と言う。)
(4) 本件行政処分は被申請人の著しい処分権の濫用によるものであるから無効である。詳言すると、被申請人は前記のとおり申請人に対して退職を強要した上申請人の意思に反して依願退職処分をなし、その目的を遂げなかつたので、さらにこれを取消の上報復的に前記のとおり真実を故意に歪曲し又は捏造して分限免職処分し、訴訟において敗訴するや三度目の処分として同一の理由で本件免職処分をするに至つたものである。そしてその間被申請人は裁判所の昭和三三年(行モ)第一号及び第三号の各行政処分執行停止決定にも従わず、申請人に対して満足な給与の支払をもなさず全く司法権を無視する態度に出で、他方その責任者大森陽に対してはその責任を追求するどころか、かえつて高等学校長に栄転さしたのである。被申請人はこのようにいわゆるお手盛人事行政を行つているのであつて、本件行政処分もその一環としてなされた合理的根拠を欠く典型的な職権濫用による処分であるから無効である。(以下職権濫用の主張と言う)
(5) 本件行政処分は強行法規である労働基準法第二〇条所定の解雇予告なしに行われた違法処分であるから無効である。(以下労働基準法違反の主張と言う。)
(四) よつて、申請人は被申請人に対し昭和三四年四月二八日本件行政処分の無効確認請求訴訟を提起した(当裁判所同年第(行)二号事件)が、申請人は家族七名(三女中学三年卒、長男中学二年生、四女小学五年生、五女小学二年生、二男五才、姉六四才、妻四九才)を抱え、従来月収金二三、〇〇〇円の講師としての給与によつて辛じて生活を維持して来たのであるが、本件免職処分によりその収入の途を断たれ、即日路頭に迷う状態に在る。よつて本案訴訟の判決の結果をまつにおいては著しい損害を招き生活困難と言う社会問題を起す虞があるから、緊急措置として本件行政処分の執行停止決定を得たく本申請に及んだ。
と述べた。(疎明省略)
当裁判所は申請人本人を審問した。
被申請代理人は、「本件申請を却下する。申請費用は申請人の負担とする。」との決定を求め、申請人の主張する(一)(二)及び(四)の各事実中申請人がかねて福井県立丹生高等学校講師として勤務し、その後同校教諭に任ぜられれ、昭和二八年四月三〇日依願退職し、同年五月二日再度同校講師に任ぜられ、昭和三三年三月三一日当時は右講師として地方公務員法に言う一般職として同法により身分を保障せられていたものであること、被申請人は申請人の任命権者であること、被申請人が同年二月頃申請人に対し退職を勧奨したこと、その後被申請人は申請人に対し同年四月一日付で依願退職、同月三日付で非常勤講師に採用発令し、同日これを申請人に手交したこと、被申請人が申請人主張の同年(行モ)第一号事件についてその主張の行政処分執行停止決定を受け且つその後被申請人が申請人主張の(二)の(2)の分限免職処分したこと、ついでその行政処分について被申請人が申請人主張の同年(行モ)第二号事件において行政処分の執行停止決定を受け且つその主張の同年(行)第五号事件において昭和三四年三月一一日申請人勝訴の判決が言渡されたが、被申請人は同月一九日右判決に対する控訴権を抛棄したこと、被申請人がその翌二〇日申請人に対し本件行政処分をなし、その翌二一日申請人に対しその旨を通知したことは認める、その余の事実は否認する。本件行政処分には申請人が主張するような瑕疵はなく、それ故に無効または取消し得べきものでない。すなわち
(一) 申請人主張の一事不再理の原則違反の主張について、
本件行政処分は懲戒処分ではないのみならず、その主張の昭和三三年(行)第五号事件の判決の内容は特別職の身分しか有しない段階において申請人に対し地方公務員法を適用したのは違法であると言う手続上の理由から被申請人が敗訴したものに過ぎず、実体的に右行政処分の理由の有無にまで立ち入つて審判したのでないから、一事不再理の理論を適用する余地はない。
(二) 同手続違背の主張について、
本件行政処分は昭和三四年三月二〇日被申請人の臨時会において正式に議決された上発令されたものである。詳言すると、右臨時会は委員長において「急施を要する事項」と認めたので、福井県教育委員会規則第三条第三項但書、福井県教育委員会規則第三条第三項及び第四条の規定に基き、同年三月一八日、「会議に付議する事項、会議開催の日時場所」を速達郵便で各委員に通知して招集したものであり、会議当日は坪川委員のみ差支のため欠席したけれども他の全委員が出席して正式に会議を開き審議の上議決した上発令したのであるから、何等の手続違背がない。
(三) 同事実無根の主張について、
申請人は別紙事由書記載のとおり地方公務員法第二八条第一項第一号及び第三号に定める勤務成績が不良である上に教育者として不適格な性格があり且つ右事由書記載の事実はすべて真実であつて故意に真実を歪曲したり、いわんや捏造したものでない。
(四) 同職権濫用の主張について、
本件行政処分は右(三)に述べたとおり合法的になされたもので職権濫用による行政処分とは言えない。のみならず被申請人は申請人に対し昭和三三年四月一日から昭和三四年三月二一日までの間の給与は全部支払済であり、その主張の判決に対しても速かに承服して控訴権を抛棄したものである。
(五) 労働基準法違反の主張について、
労働基準法第二〇条の規定する給与は福井県職員等の退職手当に関する条例第九条の規定する一般の退職手当に含まれているのであつて、申請人は懲戒免職その他退職手当不支給の事由には該当しないから退職手当は支給せられるのである。
(六) 申請人の(四)の主張について、
申請人は檀家二十数軒を有する専浄寺の住職であつて、申請人個人としては、宅地四〇坪、山林一町七反五畝六歩、畑二畝四歩を所有し、他方専浄寺としては山林九反一畝一五歩の外本堂庫裡寺の建物を所有し、寺院の住職のみで充分生活を維持し得るものである。このことは、申請人居住の越前町においては檀家二十数軒程度の寺院が約二十数ケ寺もあつて、いずれもその生活が維持せられているばかりでなく、申請人自身も会つて、「僧侶が本職で教員は副業であるから、教職を離れても食べてゆける。」と言つていたことがあるから、これ等の事実からみても明白である。
なお、被申請人はすでに申請人の後任として昭和三三年七月一日丸木憲司を発令し、同人は現に勤務中であるから、申請人を旧職場に復帰させることはできず、実際上昭和三三年一〇月四日同年(行モ)第二号事件について行政処分の執行停止決定があつた以後は止むを得ず申請人を丹生高等学校本校の図書係として勤務させていたのである。
と述べた。
(疎明省略)
当裁判所は、川端喜代士を審問した。
理由
一、当事者間に争のない事実
申請人がかねて福井県立丹生高等学校講師として勤務したが、その後同校教諭に任命替され、昭和二八年四月二〇日付依願退職の上、同年五月二日再度同校講師に任ぜられ、昭和三三年三月三一日当時は右講師として地方公務員法に言う一般職として同法により身分を保障せられていたものであり、被申請人は申請人の任命権者であること、被申請人は、同年二月頃申請人に対し退職を勧奨したこと、その後被申請人は、申請人に対し、同年四月一日付で依願退職、同月三日付で非常勤講師採用を各発令し、その各辞令を申請人に手交したこと、そこで申請人は当裁判所に右依願退職の行政処分の執行停止を申請し、(同年行モ第一号事件)同年五月二一日その執行停止決定を得たのであるが、被申請人は同年六月一日付で右依願退職、非常勤講師採用の各行政処分を取消した上、同日付で、改めて申請人を分限免職処分に付したこと、次いで申請人は再び当裁判所に対し、右分限免職の行政処分無効確認請求訴訟を提起し(同年(行)第五号事件)且つ、右処分の執行停止を申請し(同年(行モ)第二号事件)、同年一〇月四日、右執行停止決定を得、且つ昭和三四年三月一一日右行政処分の無効を確認する旨の申請人勝訴の判決を得、右判決は、被申請人が控訴権を抛棄したことにより同月一九日確定したこと、しかるに、被申請人は翌二〇日付で改めて再度申請人を地方公務員法第二八条第一項第一号、第三号により本件分限免職処分に付したことはいずれも当事者間に争はない。
二、本件行政処分の執行停止理由の存否
(一) 申請人の主張する(三)の(3)の事実、すなわち、被申請人が、本件行政処分の具体的理由として主張する別紙事由書記載の事実について、以下順次判断する。
先ず、第一、地方公務員法第二八条第一項第一号の事由(イ)(ロ)に関しては、未だ全疏明を以てしても申請人が昭和二三年八月から昭和三四年三月二〇日までの間終始右(イ)、(ロ)に示されたような態度を続けていたことを認めるに充分でなく、却つて、被申請人の主張自体から申請人は昭和三二年三月中の退職勧告後はその態度について充分注意していたことさえも判かるから、かような事由を以て申請人を免職処分に付することは相当ではないと考える。
次いで、第二、同第三号の事由中(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)、(ヘ)、(チ)、(リ)、はいずれも、申請人が丹生高等学校教諭を依願退職した昭和二八年四月三〇日以前の事由であるから、被申請人は同年五月二日同人を再度同校講師として採用するに当り右各事実を熟知していたものと考えられるところ、被申請人が本件において主張するように、右各事実が高等学校講師として必要な適格性を欠く事由であるとするならば、被申請人は右五月二日申請人を高等学校講師に採用した際申請人にその適格性のないことを知りながら採用したことになるが、被申請人が不適格者を採用したことも考えられないので、結局右の関係は、採用当時は、被申請人において敢て右事由を適格性を欠く事由とみなかつたものと解する以外に途がない。そうだとすると、採用後数年を経た今日に至り、右事由を不適格性の事由であると主張することは理論上も矛盾する上に著しく妥当性を欠き、本件行政処分の理由としては充分でないものと思われる。
ところで、地方公務員法第二八条第一項第三号に「その職に必要な適格性を欠く場合」とは地方公務員自身について、先ず地方公務員たる以上はその職責に耐え得る専門的知識と能力を具備していることを要し、又その職務遂行に当つては同法第三章第六節服務の各条項を遵守せねばならないのであるから、一般に公務員としての適格性を欠く場合は右の如き義務の不履行を指すものと考えられるが、いやしくも公務員としての身分を左右する分限の事由としては、当人の素質、性格、能力等から考えて、常に右各義務不履行が存在し公務員たるにふさわしくないと言う顕著な特性が存し、しかもこれは容易に矯正することができない程度のものでなければならず、且つ処分を受けるその公務員自身についての不適格性以外の事由をも考慮の上これに基いて分限免職処分に付することは許されないものと考えられる。
かゝる見地から被申請人の主張するその余の事実、すなわち昭和二八年五月二日以後の事由について、順次検討することゝする。
先ず(ホ)の事実についてみるに、公文書であるから真正に成立したと認められる乙第一号証の二、申請人審訊の結果を綜合すると、昭和三二年三月頃申請人は当時丹生高校校長であつた山口某から、牧野福を通じ退職勧告を受けた際、激昂して、同人に対しやゝ穏当を欠く言辞を用いたことが推定されるけれどもそれまで、しばしば退職の勧告を受けていた申請人としては、内心穏やかならず偶々、普通より激しい言動に出て(ホ)に記載された言辞を弄したとしても、それは申請人の真意から出たものとは考えられないからこれを以つて直ちに同号に言う教員としての適格性を欠くものと断ずることは出来ない。
次に(ト)の事実についてみるに、申請人審訊の結果によれば、申請人が丹生高校四ケ浦分校の図書係を担当していた頃、主として、佐々木書店から図書を購入し、小説類が多かつたことを認めることができるが、購入に関し、申請人の専恣独断が多かつたかどうかの点については、これを認めるに足る疏明がない。従つてかゝる事実を以て、申請人の不適格性を判断することはできない。
次で(ヌ)の事実についてみるに、仮りにかような事情があつたとしても、これは昭和三三年三月頃に於ける教組、丹生支部人事対策委員会及び北陸高校長等の申請人に対する評価がそうであつたというに過ぎず、そのような評価が生じた由縁や具体的事由は明かにされていないのだから、本件行政処分の理由としては不充分である。
最後に(ル)の事実についてみるに、全疏明をもつてしてもこれを認めるに充分でない。
以上のとおり、被申請人が主張する各事由は、本件行政処分の理由とするには必ずしも充分であるとは認められない上に、福井県教育委員会教育長川端喜代士の審問の結果によると、本件行政処分は、昭和三四年三月末に行われる福井県教職員の定期人事異動の実施を間近に控え、他の教職員の人事行政を円滑に実施すべき行政上の必要に迫られていた事情もあり、この点をも考慮に容れての処分であつたことも推測される。
以上認定の事実を綜合すると、本件行政処分は教職員の人事行政と言う目的に走り過ぎたため、被申請人において、申請人自身の高等学校講師としての適格性の有無の判断に慎重を欠いていたものとの非難を免れないように思われる。
(二) 停止の必要性
申請人は、昭和三四年三月一一日当裁判所によつて言い渡された昭和三三年六月一一日付分限免職処分無効確認判決の確定により、昭和三〇年五月二日以来引続き丹生高校講師たる身分を保持していることが明らかとなり、従前通りその給与を受け得べき地位にあることも確定したわけであるが、本件行政処分が取消されず執行されている限り、右給与も得られないものと考えられるところ、同人はその審訊結果によつて明らかなように、家族七名を擁し、資産としては、山林一町七反余り、畑約二畝、宅地約四〇坪を所有するのみで、申請人が住職である専浄寺の檀家は僅か二四軒に過ぎず、住職としての収入のみでは現に生活に困窮しているものと考えられる。故に本件行政処分の無効確認又は取消を求める当庁昭和三四年(行)第二号事件の判決を待つていたのでは、本件行政処分の執行により給与の途を絶たれている申請人に対し償うことのできない損害を生じるおそれがあり又これを避ける緊急の必要があると考えられる。
従つてその余の点について判断する迄もなく、本件行政処分の執行停止を求める申請人の申立は理由があると考えられるのでこれを認容することとするが、本件行政処分の執行が停止されゝば、以後、被申請人は申請人を丹生高校講師として取扱うべき義務を負うに至ることは理の当然であるから、改めてその旨の裁判を求める必要はないと思料する。
よつて以上認定の範囲内で申請人の申請を認容し、その余を失当と認めて却下することとし、行政事件訴訟特例法第一〇条、民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し主文の通り決定する。
(裁判官 神谷敏夫 可知鴻平 川村フク子)
事由書
第一、地方公務員法第二八条第一項第一号の事由
(イ) 申請人は昭和二十三年八月、丹生高校四ケ浦分校(定時制課程)に就職以来、社会科を担当していたが、終始授業に当り単に教科書を朗読するだけで何等説明を加えず、生徒が質問すると之に答えることができなかつた、又は之を叱ることもあつた。
昭和三十二年三月中、被申請人より依願退職を勧奨した際右事実を指摘して、免職処分もあり得る旨警告した処、以来若干気を配つていたようである。
(ロ) 四ケ浦分校に於ては、昭和二十三年四月より昭和二十七年三月まで(坂井功氏及び山本寿氏が丹生高校長であつた期間)の間は教員の出勤時刻について明確な定めがなかつた授業時間は、午後六時三十分から午後九時二十分までであつて、その間七時五十分から八時まで十分間の休憩時間がある。
昭和二十七年四月前田幸久氏が丹生高校長に着任したとき、定時制課程の教員の出勤時刻を午後四時と定め之を励行した。
申請人は昭和二十七年三月までは出勤時刻が非常におそく授業時間にも遅刻して来ることが屡々であつたが、昭和二十七年四月以後は午後四時の出勤時刻に出勤したことは一日もない位で、依然として授業時間にも遅れて来ることが屡々であつた。
昭和三十二年三月の退職勧告後は申請人は出勤時刻についても相当警戒していた模様である。
第二、同第三号の事由
(イ) 牧野福氏(昭和二十六年五月より昭和三十三年三月まで丹生高校定時制主事)が申請人に対し、勤務について度々注意を与えた処、申請人はその都度「自分は僧侶が本職で教師は副業であるからそんなに精励できない」と答えていた。公務員たるの自覚に全く欠けているとしか考えられない状況であつた。
昭和二十七年十月頃、前田幸久校長が申請人を本校に招致して勤務について注意を与えた処、その直後にも申請人は廊下で右言葉を口にして不平を言つていた。
(ロ) 昭和二十六年中、山本寿校長が、四ケ浦分校へ視察に出たとき、当時生徒会長であつた浜野春松が同校長に対し、申請人の授業振や勤務について苦情を申出たが、同校長は「生徒がこのような方法で先生のことを申出るのは穏当でない」と諭してかえしたことがあるが、申請人は生徒間にも信望がなかつた。
(ハ) 昭和二十五年三月、坂井功校長より
昭和二十六年十月頃山本寿校長より
昭和二十八年三月前田幸久校長より
大森陽(昭和二十四年九月より昭和二十八年八月まで高等学校人事係担当であつた)に対し
同僚との不和、勤務状況の不良、指導能力の欠如等を理由に申請人の処分を要求して来たが、昭和二十七年三月四ケ浦分校の助教諭であつた申請人の妻、鷹巣俊枝を依願退職させたので、昭和二十七年三月の異動に際しては申請人に対しては、何等の処分をしなかつたのであるが、昭和二十八年三月には前記のように前田校長より重ねて要請があつたので教諭を免じて講師に降格したのである。
他校へ転勤させようとしても受取手がないので転勤させることもできない有様であつた。
(ニ) 牧野福氏が昭和二十七年四月定時制主事に任命させられたので、其頃四ケ浦分校へ挨拶に行つた処、申請人は他の諸先生列座の前で、牧野氏に対し「自分は君より俸給が上だから君の云うことはきかない」と放言した事実がある。
(ホ) 山口校長が昭和三十二年三月中、牧野福氏を通じて申請人に対し、退職勧告が来ていることを告げた処申請人は非常に激昂して、牧野氏に対し「お前の家も校長の家も火を放けて燃やしてやる」と云つた事実がある。
(ヘ) 申請人が分校主任担当中、越前町より分校が受ける金銭、PTA会費、生徒会費等の出納は申請人が専ら掌つていたが、その出納が全然不明確で昭和二十七年三月定時制主事の更迭の際、後任者に対し帳簿の引継がなく現在に至つている。
(ト) 四ケ浦分校、学校図書室に備付ける書籍の購入について、申請人は専横を極め、全く無計画に町の予算を無視し、越前町宿に在る申請人の檀家の佐々木書店より納入するものをそのまま受入れていた。小説類が多く、理科系統の書籍が少く、生徒より図書購入について苦情の申立があり、職員よりも購入について一考されたい旨の申入れも聞かず坂井校長、山本校長等よりも生徒に不適なものも多いことを指摘されていた。
(チ) 昭和二十七年十月四ケ浦分校に於て、研究授業が行われた際、申請人は当日参観者に渡すべき研究授業に対する指導案を全然作成してなかつたので定時制主事である牧野福氏が之を作成して与えた処気に入らぬとして一顧もせず、批判会の席上では質問に対し答弁ができなかつた。
(リ) 前項研究会の展覧会の準備のため、田辺澄江講師が申請人に物つり用の釘を打つことを頼んだ処、申請人は校長も居ない所で働いても手柄にならんから手伝はできんと云つて帰つてしまつた。
又研究授業終了後行われた懇親会の席上些細のことから樟本立殊教諭と喧嘩をはじめ樟本氏に退職を強要した事実がある。
右の以外にも同僚との折合が非常に悪く、同校の勤務となつた教師と不和を生じ四ケ浦分校に授業に行くことを嫌う教員が多く出た。
(ヌ) 昭和三十三年三月異動の際は被申請人方より高教組の副委員長、書記長に対し、(書記長田中明氏、副委員長岩本巌氏)退職勧奨の対象となつている人の名簿を示して検討を願つた処申請人については組合としても擁護すべき人物でないとの言明があり、教組、丹生支部人事対策委員会に於ても申請人を退職させることについては異議がなかつたのである。申請人が親友であると称している北陸高校長鷲山氏も却つて申請人についてはかんばしからぬ人間だと評している。
(ル) 公簿の整理が不良であつて、その一例として永久保存の生徒の成績表に一部未記入のまま放置しておいたり教頭の点検印を貰つて後に成績点を故意に改ざんしたと見られる箇所が多く見受けられることである。
以上